プロフィール

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プロフィール 自己紹介 食育

初めましてさっちゃんです。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

 

自己紹介

東京都在住。さそり座のA型。  
夫、長男、次男、長女の3人の子ども+デグー1匹の6人家族。
都内で愛情いっぱいの家庭で育ちましたが、突然の夜逃げで、我が家は埼玉県へ引越し。大好きな父と離れ離れの生活になりました。1年後には、風呂無しアパートからの再出発。
学生時代は、華やかな世界に憧れを持つが現実はそう簡単ではない。だから、部活後にバイトに明け暮れて遊び代を稼ぎ、楽しく過ごしていました。
 
 

家族愛いっぱいの幼少期

父方の祖父母と二世帯住宅で暮らしており、父は工場経営、母は家仕事をしており、いつも近くには家族がいました。

食事は必ず家族揃って食べ、たまに、下に住んでいる祖父母のところで田舎料理を食べたりしていました。

毎日、工場の前に地域の子が集まり、17時まで自転車に乗ったり、走り回ったりして遊んでいました。小さい子が大好きな私の夢は幼稚園の先生でした。父が地域のお祭りの神輿作りをしていたので、お祭りの日は神輿仲間が集まり楽しかった記憶しかありません。

滑り台のある小学校から畦道が通学路の小学校へ

滑り台があって、校庭には立派な陸上競技場のようなトラックがある珍しい公立の小学校でした。

でも、通ったのはたった数ヶ月。突然トラブルに巻き込まれ父の工場が経営ができなくなり、埼玉県へ引越。

田んぼの中に建つ1軒屋でしたが、学校までは畦道を通り通学。一気に都会から田舎での生活に戸惑いしかなく、父ともなかなか会える状態ではなかったのだけ、覚えています。

1年後には、状況が落ち着いたのか?また東京へ戻りましたが、風呂なしアパート生活。生まれた時の家とは全く違う生活でした。

急に訪れた父との別れ

家族一緒に生活をしていても父に会えるのは、日曜日だけ。

父は、朝早くに家を出てしまい、寝た後に帰ってくるようでした。

月1回は家族で出かけて外食してました。当時は珍しかったと思いますが、坊主頭に着物と雪駄が父のスタイルでした。(めっちゃカッコよかったです(笑)

私が中学2年生の夏、旅行帰りの祖母と曽祖母が我が家に来てみんなで〈きりたんぽ鍋〉をしていたのですが、急に父が珍しくお酒に酔い、寝たと思ったら大きなイビキ。いつもと違う光景に…救急車で運ばれたのですが、1週間の闘病の末、帰らぬ人に。(くも膜下出血でした)

父は自分よりも周りが楽しければそれで満足という優しい人でした。私は怒鳴られたこともなく、いつも温和でした。
その後、母は父となり、朝から晩まで働いてくれて、女で一つで、

私たち姉妹を育ててくれました。貧しかったと思いますが、不自由さを感じたことはなかったです。

家族を守る母の姿に自立しなければという想いが芽生える!

母が仕事で忙しかったのは、家族の生活を守るため。ちょうど受験時期、毎晩遅くまで働く母を見ていると、経済的に都立高校への進学しか選ぶことはできなかった。だから、都立高校に受かった時は、母は大喜びでした。今でもその時に母の喜ぶ姿を覚えています。
やりたいこと・欲しいものがあれば、自分で稼ぐしかなかった為、高校生活は部活を楽しみつつ、バイト三昧でした。でも、おかげでたくさんの方に出会い、学びの多い3年間でした。
 

無知は罪!!

お勉強が苦手だった私は、高校を卒業後すぐに就職。上場企業の東京本社にて総務部へ配属。
主な業務は、社会保険手続き、社内の福利厚生(持株会・社内預金・保養所)担当。
初めて『社会保険』と『労働保険』の存在を知り、自分が理解していなくても、働いている条件に応じて社会保険や労働保険に加入し、保険料を払います。その保険の中身を知っていると、知らないでは受けられる恩恵が雲泥の差!だから、業務を通じて一生懸命学びました。
 

お金とは...知っている人だけが得をする!

社会人になるが、仕事以前に苦労したのがパソコン操作。全く触ったことがないので、文字を打つのも一苦労。機能を使うために取説とお友達状態でした。パソコンを習いに行きたいが、学費を準備できないのが現実にあったので、いろいろと調べたところ。雇用保険を活用したら、学校に行きながら訓練手当がもらえることを知りました。パソコンを無料で学びながら、訓練手当を1日500円もらい、6ヶ月通った結果、ブラインドタッチができるまでに上達し、資格取得もできました。
失業保険も自己都合退職なら、1年半勤務でも6ヶ月しかもらえなかったけど、訓練校卒業までしっかりもらうことができました。これこそが正に、「知っている人だけが得をする」という恩恵を受けることができました。

『お酒』という魔物が生活を一変!

大恋愛ではなかったけど、6年付き合った1つの上彼と結婚。お互い学生時代、風呂無しアパートに住んでいたため、マイホームを持ちたいのという共通の夢を抱きながらの幸せな結婚生活がスタート。
長男を妊娠するが、健康保険の恩恵を最大限に受けるためにギリギリまで働き、出産一時金(出産すれば必ずもらえるお金)とは別に、働いていたからこそもらえる出産手当金も30万円程GETしました。
出産半年後に悲劇が起きました!
野菜市場でドライバーをしていた旦那さん。休日に市場でBBQをやると出掛けていき、昼過ぎに電話が来た時には、救急車の中からでした。
BBQ中はお酒を飲みます!そんな状態で友人のスポーツカーに乗り楽しんでいた矢先に事故が起きました。結局ドライバーの彼は、全治1ヶ月の怪我をして仕事にも行けなかった。
だから、子どもを近所の無認可保育園に預け、通勤1時間かけて生保レディをやることになりました。
求人募集に「提携保育園あります」というキャッチフレーズ見て応募して、即採用されました!
やる気さえあれば誰も良くて、提携保育園はなく、保育料を少し負担してくれました。

 

夢のマイホームが目前!なのに、、、

子どもが生まれると市区町村での子どもへの支援が違うことが明確にわかるようになった。保育料だったり、医療費に大きな違いがある。
結婚前は都内に住んでいたけど、川を渡った方が家賃が安いこと知り、隣の県で結婚生活を始めたが、子どもが生まれたら実家がある市区町村の方が保育料も安く、医療費が充実していることを知り、引っ越しを考えるようになりました。
都民住宅にたまたま空きが出て引っ越し。収入に応じて家賃が決まるため、近隣の賃貸マンションと似たような値段で少し広めのマンションでした。
年々家賃が上がってくるので、たまたま近所にマンションが立つことを知り、モデルルームへ。
憧れのオープンキッチンだったの、即気に入り詳しい話を聞き、夫婦で住宅ローンを組めば大丈夫そうだったので、事前審査を行うことになりました。
1〜2週間後に審査結果が出ると、チーン。旦那さんの借金発覚!!
1年後の入居(銀行契約日)までに、返済が完済していたら、「問題ない」ということがわかり、どうしても、このマンションを買いたいって思いが強かったからなのか?!在宅でできる経理のオファーがありました!これは、私が引き寄せたんだと思い、話を聞かずに「やります!」の即答。

同僚が起業!数字は嘘をつかない。

一緒に働いていた営業の同僚が起業することになり、私の仕事ぶりを見ていたので「事務を任せたい!」というオファーがあり、同僚の起業する会社の準備を始めました。
ITエンジニアを派遣する事業をするため、エンジニアの子と共同経営をするため、法人設立。
最初はレンタルオフィスでのスタート。基盤を作っていたようで、初月から幸先の良いスタートでした。そんな矢先に、社長の彼女も私も妊娠が発覚!社長も同時に妊娠だったので、ある意味気持ちは楽でした笑
半年後には事務所を構えて、社員も雇い、税理士とも契約をして、本格的にスタートしました。
税理士もお願いして、毎月しっかりと社長に月次報告をしていました。やっぱり、数字は嘘をつかないですね。月次ではプラスでもキャッシュフローで見ると、辛い時期が一目瞭然なので、やっておいた方が良いことがわかり、前もって対策を考えることができていました。

掛け持ちでの経理

子どもが3人いると、学校行事(保護者会&授業参観、行事説明会等)が3人分。
あまり一緒にいられない分、小学校の行事へは参加したい、学校の様子を先生に聞きたいという想いが強く、友人の会社を退職して、正社員ではなく、派遣会社2〜3社紹介してもらって。掛け持ちにて経理を行っていました。そのおかげで、うまく予定を調整できたので、子どものために学校行事に参加できて、仕事先へも迷惑をかけることがなかったです。
掛け持ちしていた経理業務(約3年間)
労働組合の事務(週2〜3日)、広告代理店の総務・経理(週2〜3日)、個人美容室の経理+顧客管理(月1〜2回)、輸入住宅メインの建築会社の経理(週3〜4日)
 
子どもの行事が落ち着いてきた頃に、以前勤めていた友人より再度仕事のオファーがある。別会社を作るので、手伝って欲しい。今度は、「経理メインに2社をお願いしたい。子どもの行事参加の休み調整については、ある程度融通を効かせてもらえる」ということで、即答して、翌月からまた、正社員として勤務することになりました。

ホールディングスでの経理

数年後、スキルアップしたいという思いから、ホールディングス会社(子会社4社)の経理会社に派遣として入ることになりました。上場するために経理を強化したいというベンチャー企業。
子会社2社の経理を任されて、主に会計ソフトの入力と各社の決算補助。慣れてきた頃に、経理課から財務課へ異動し、銀行対応と株主総会資料作成が主な仕事になりました。
5社の取引銀行も多く、月に数回は銀行さんは来訪されていました。急に来訪される銀行さんも多く、私がカジュアルな服装だと同席させてもらえませんでした。
その日から、オフィスカジュアルで良いと言われていましたが、スーツで出勤するようになりました。
 

この経理・総務の事務経験を活かして

私のメルマガを登録するメリット
  • お金は知識があれば守ることができる
  • 国のルールを知っていると知らないのでは雲泥の差
  • お金は見える化することで節約につながる
  • お金が貯まる社長と貯まらない社長の違いがわかる
  • 事務効率が上がる方法を知ることができる
 
 
経理は、経営者と近いポジションなので、社長の考え方を学べる環境でもあります。
社長の考え方で、お金が貯まる会社と貯まらない会社に分かれます。
 
私は、「お金の知識がない」「簿記資格もない」「経験と成長したい気持ちだけ」で25年間、15社の経理業務に携わってきました。その経験から、お悩みを改善したいという人のお手伝いができればと思い、ブログを立ち上げました。
 
「お金の知識」は、学校の授業では詳しく教えてくれないから、自分で学びにいかなければ正しい得ることができません。だから、知らなくて当然なので、知ろうと思うことが大切。知っているのと知らないのでは、雲泥の差です。
 
「簿記資格」は、経理業務をやるのであれば、必須だと思っていました。でも、ぶっちゃけ資格がなくてもできます。簿記資格を持っている方が、どの程度の知識があるという目安になるから、持っている方が、こちらが出来ることの理解度がわかりやすいのと、専門的な部分になると、やっぱり資格があった方が良かったりという時もあります。
 
「経験と成長したい気持ち」この気持ちは、めちゃくちゃ大事!
数社で、事務を全部やっていたので、事務仕事の流れだけでなく、いかに効率的にやるのか?を
学ぶことができました。経理業務がメインの会社では、前後の仕事の流れがわかっているので、 次の人がやりやすいように業務をお渡しすることができます。
仕事は1人でやるものではないので、協力が大切です。1人でやる部分は、いかに正確に効率的にやるのかが勝負だと思っています。また、どうしたら、「会社にお金を残せるようにできるのか?」「資産を積み上げていくことができるのか?」この2つを意識して経理業務に全うしてきました。
そのために、いろんな提案をして効率よく事務処理を行っていたり、補助金や助成金を調べて活用していました。
 
旦那さんの事故をきっかけに、ほぼフルタイムで仕事をしながら、3人の子どもを育てました。
結婚した当時は、あるだけ使ってしまう好き放題でしたが、旦那さんの事故をきっかけに、貯金やマイホームを意識するようになりました。
いろんな家計管理をしてきましたが、経理の仕事をすることにより、お金の考え方が変わり、収入と支出の流れをきっちりと理解できるようになりました。
子どもが大きくなればなるほど、教育費がかかっていきます。我が家は、お勉強を頑張れる環境よりも子どもたちがやりたいこと(バレーボールで春高出場を目指す!)を全力で出来るように環境を整えてきました。強豪チームに行けば行くほど、遠征費が子ども+親の応援分がかかるのが本当に大変でした。
 
 
 
乃田 幸子(さっちゃん)

 

 

 

 

 


sachiko

乃田 幸子(さっちゃん)

乃田 幸子(さっちゃん)

蠍座、A型、動物占いは羊。東京都出身で3児のママです。 15社の経理部にて、25年以上勤務。その間3度の出産にて、社会保険・雇用保険を活用して給付金をGET▶︎お金の知識があると貰えるお金が増える▶︎

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